タイ語ネット

October 18, 2004

タイ語語学留学総括そのニ

日本に帰って来てから約一ヶ月が過ぎた。
生活の場を日本からバンコクへと変えた時はそうでもなかったのに、今回京都で新たに生活を始めるにあたっては、重い腰を上げるようなプチ憂鬱を伴うものであった。その理由の半分はゼミでやっていた事をすっかり忘れていたので、着いていけないという不安だったし、後半分は多分就職関係の事であったと思っている。

が、が。しかし。
案ずるより産むが易し。ゼミは思っていたより何とかなりそうだし(先生見ていませんように)、就職活動については元同級生という先遣隊がいるから、情報を仕入れつつなんとか上手い事切り抜けよう作戦を思い立ったからである。

暫く前に書いた総括その一では、「この留学で何を得たのか」とか「何をアピールするのか」といった肝心な点に触れていなかった。というのも、自分自身の中でまだ整理が出来ておらず、沢山得た事はあるはずなのにどこを切り取って書き出せば良いのかが分からなかったからだ。

まず、学習面で学んだことは、「集中してやれば、集中して伸びる。」という当たり前の事である。実に一日4時間、週に5日を一つの科目について費やし、更に宿題に授業時間以上の時間を費やすという日々が8ヶ月続いた。未だかつてこのような体験は無かったと言える。例えるなら、小学校から高校までの国語の授業を8ヶ月に凝縮したような体験であったと思う。全ての情報を知識として蓄える事は出来なかったが、それを試みる課程で上記の様な自信がついたと思う。この辺りは面接で使えそうだ( ̄- ̄ )フンフン。雑誌「就職ジャーナル」の11月号に「「白紙」の吸収力と成長のエンジンに企業は期待している!」とあったし。以前、尊敬する人に、「インプットしたものをしっかりアウトプットできる力をアピールすればいいんだよ。」といわれた時にあっ!そうかと思ったのを思い出した。となると、チュラからの終了証書だけでなく、資格をとっておきたいところだ。

そして、精神面で得た事といえば、「(自分が)強い時は上を向いて生きればいいし、弱い時は下を見ればいい。」ということだ。これは私がタイに初めて行った時から感じていたことである。バンコクでは光と影、栄光と挫折、富と貧困がくっきりと浮かび上がる。多くの場合、それを経済格差と呼んでもよいと思うが、貧しい側に分類された人間が「富」や「権力」を求めてまともに正しく這い上がるのは不可能である現実がある。それは、夜中まで交差点に立って赤信号で止まった車の窓を拭くストリートチルドレンであったり(彼らの多くはクスリをやっていたり(やらされていたり))、歓楽街で体を売りエイズで死亡していく女達であったりした。食べるものが無い少年少女の前に、親から貰ったメルセデスベンツのスポーツカーに乗った高校生が止まり、ゴーゴーバーと呼ばれる売春バーで踊る女性の前で、ちょっとだけお金を持った男達が羽振りをきかせる。

でも貧しい側にいる人間に、現実を変える力はない。向こう側に立った彼らからすれば、それらは自分とは別の世界の出来事で、自分達には縁が無いことを知っている。彼ら彼女らは考える暇も考える能力もカネとクスリに蝕まれているようだった。先生が仏教の授業の時に「タイ人は、「十分」という事を知っています。」と言っていた。「幸せというものは、ある程度のところで十分と思うことから生まれる。」という仏教の教えである。しかし、幸せがゼロ以下だったら「十分」は「諦め」という言葉になるのかもしれない。彼らは不条理のうちに、諦めを知らなければならない人生に生まれてきた。

私達はどうだろう。
しばしば私達はツイてないとか、不幸だとか思う事がある。
そして、しばしば私達は、自分より劣ったものに対する下方の比較によって、自尊心の低下を防ぐことが心理学的に明らかになっている(DeVellis, 1990; Taylor & Lobel, 1989)。付け加えると、この考え方は決して好ましくなく、生産的でもないとされている。私はこのような考え方をなんだかカッコ悪いと思っていた。そして、初めてタイを旅行してから、私が感じていたのはこの感情だったのだろうかと事ある毎に自己嫌悪に陥った。

そして留学を終えて一ヶ月経った今、それとは少し違う感覚を抱く。

自分が弱くなってどうしようもなくなった時(そういう時は誰にでも何度か訪れるはず)は、こう考えてもよいのではないだろうか。「彼らはもっと辛いはずだ。自分は既に十分ラッキーだ。」と。或いは、正義を迷った時、「自分は正義ができるはずなのに、なぜやらないのだろうか。」と。


投稿者 hira : October 18, 2004 02:06 PM | トラックバック
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